時制を「見える化」する---完了形のしくみ MTR理論

時制を「見える化」する

完了形のしくみ MTR 理論のご紹介

 

 

きょうはひとつ、完了形のしくみを考えましょう。ぼくが「見える英文法ジャパンタイムズ)」や「CNN English Express, 2015年9月号(朝日出版)」の特集で書いた考えかた、MTR 理論(Multiple Time Representation「複合的時間表現理論」)を使ってお話ししたいと思います(注1)。大げさな名前をつけましたが、べつにむずかしい言語学の理論ではありません。それどころか、自分ではたいへんシンプルで自然な考えかただと思っています。

 

完了形はややこしいイメージがあるかもしれませんが、基本的なしくみはとてもシンプルなのです。

 

たいていの文法書では、完了形を現在形や過去形などとおなじように、1つの動詞の形のようにあつかっています。表面的にはそれでいいのかもしれませんが,これが完了形のほんとうの理解をじゃましているのかもしれません。

 

動詞の「過去形」はたしかに動詞がある形(たとえばgive→gave)になったものです。

でも「完了形」ってひとつの動詞の形ではありませんよね。have + 過去分詞というふたつの部分からできています。なんでこんなパターンになったのでしょう?

 

じつは古い英語の現在完了形(8世紀くらいまで)はいまと語順がちがいました。

いまの英語の

I have written + a letter. はむかしは

I have a letter + written. の順だったのです。

 

これはいわゆる SVOC みたいな構造で、直訳すると「わたしは手紙を、(すでに)書かれた状態でもっている」です。

 

つまり完了形の「助動詞」haveも動詞のhaveとおなじ、「もっているという意味だったわけです。

 

英語とおなじゲルマン語系のドイツ語の現在完了はいまでもそれににた語順です。

 

Ich habe einen Brief geschrieben.

「わたしは手紙を書いた」

(Ich habe=I have, einen Brief =a letter, geschrieben=written)

 

とにかく、完了「形」はhaveと過去分詞という2つのパーツからできているのだから、ひとまとめにせず、すなおに意味も2つの部分に分析して考えてみたらどうでしょうというのが、MTR理論の根本的な発想なのです。

 

そもそも完了形は「ある時を視点として、それ以前のできごとを語る」表現です。「視点」と「できごと」という「2つの時間」に関係するから、パーツも2つあるのではないでしょうか?

 

というわけで,完了形の基本的しくみをつぎのように「見える化」してみます。

 

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haveは視点となる時点を表します。上で言ったように,完了形のhaveももとは動詞のhave「~をもっている」でした。一方、過去分詞(Vedであらわします)は「すでにおきたできごと」をあらわします。この2つをくみあわせると、「ある時点で、すでにV がおきた状態をもっている[=状態にある]」という意味が生まれます。

haveが現在形なら視点は現在となり、現在完了形となります。

 

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たとえば、次の文のしくみはどうでしょう。

 

 1) I’ve just finished reading his book.

  「わたしはかれの本を読みおわったばかりだ」

 

 いわゆる完了の意味ですが、この文を直訳すると、「わたしすでに本を読みおわった状態を、(いま)もっている」となります。

次のようなイメージです。

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過去完了形はどうでしょうか。よく「過去の時点よりもまえをあらわす」と言われますね。文法書では、過去完了もやはりひとつの形として、haveと過去分詞を一体化してとらえているものがほとんどです。

たとえば過去完了をこんなふうにあらわしている本が多いでしょう。

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これだけでなっとくできるならそれでいいんですけど・・・

 

過去完了形を考えるまえに、ちょっとつぎの文を見てください。

 

2) When I arrived at the station, I had only 500 yen.

「駅に着いたとき,わたしは500円しかもっていなかった」

 

この文にはふたつの動詞があります。arrived hadです。どちらも過去形ですね。had の時点は arrived の時点とかさなっていますね。つまり「わたしが駅に着いた時点で、わたしは500円もっていた」のですね。

ふたつの動詞があらわす事態が同時点であるという解釈は,つぎのようにふたつのセンテンスにしてもふつうおなじでしょう(注2)

 

2’) I arrived at the station. I had only 500 yen.

 「わたしは駅に着いた。500円しかもっていなかった」

 

見える化するとこんな感じでしょう。

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 ふたつの事態がおなじ時点にあることを、動詞をたてにそろえてあらわしています。

 

ではつぎに過去完了形を考えてみましょう。

基本的なしくみはつぎのとおりです。

 

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過去完了形では、hadがhaveの過去形なので、視点は過去になります。

ただし、1つ注意すべきことがあります。

現在完了の視点はいちいち言わなくてもいつも=nowと考えればいいのですが、過去の時点は無限にありうるので、原則として過去完了は視点がはっきりあたえられないと使えないのです。時点 の値があたえられてはじめて使えるのです。

次の文を見てください。

 

4) When I arrived at the station, the train had left five minutes earlier.

「わたしが駅に着いたとき,電車は5分まえに出てしまっていた」

 

ここではわたしが駅に着いた(arrived)時刻が視点となります。2) のばあいとおなじく、had の時点は arrived の時点とおなじだと解釈されます。そうすれば完了形の基本構造により自動的に、leftというできごとがおきた時点は arrived の時点よりも前ということになりますよね!

直訳すると「わたしが駅に着いた時点で、電車はすでに出た状態をもっていた」ということです。

見える化してみましょう。

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例文 2) の図とおなじく、arrivedとhadはおなじ過去形なので、たてにそろっている(つまり同時とみなされる)わけです。

つぎのようにふたつの文にわけても解釈はふつうおなじです。

 

4’) I arrived at the station. The train had left five minutes earlier.

 

このように、過去形の動詞が過去完了形に視点をあたえる役割をはたすことがよくあります。

 

見える英文法ジャパンタイムズ」では,ここでお話ししたMTR理論を応用・発展させて、完了形のいろいろな意味はもちろん、過去完了をつかうべきばあいとつかうべきでないばあい,それから過去完了よりさらに複雑でややこしいと思われがちな未来完了や、完了形の不定にいたるまでわかりやすくお話ししています。

 

きょうの記事で興味をもたれたかたは読んでみてくださいね。

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   それではまた,  ¡Hasta pronto!

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★注2) はめんどくさいので,無視していただいてもよろしいかと思います 。ひまなかたは読んでください。

(注1)この表現法のルーツはぼくの修士論文で,かつては大学講師のバイトで、このネタだけで1年間、英語学特殊講義をやったこともあります。Multiple Timeとは,ひとつの動詞句が完了形のような複合的な構造をもつときは、時間的にもいくつもの時点をふくんでいるとみなすということを言いたいわけです。ぼくの修士論文はReichenbach(1947)のSRE理論を批判する内容で,SRE理論もひとつの動詞句にS(speech 発話時), R(reference参照時点), E(event事象の時点)の3つを設定するものですが、これはなんか形而上的というか、抽象的すぎて動詞句の構造を反映していないのが不満だったのです。

 

(注2)すこし言語学的にくわしく言いますと、

SV1. SV2. SV3. ... と過去形の動詞(句)V n をふくむ文がならぶとき、つぎの a) と b) のばあいがあります。

 a) 動詞(句)V2, V3が時間的に「有界の(unbounded)述語」(後述)なら,この「物語の時間」はV1の時点=t1のままでとどまり,前にすすまない(つまりt1=t2=t3) のがふつう(無標、いわゆる「デフォ」)の解釈でしょう。

 

例)わたしは駅に着いた(V1)腹が痛かった(V2)。さいふには500円しかなかった(V3)

 

この b) が例文2')のケースですね。

「ふたつの事態がならんで描写されていたら、原則としてそれらはおなじ時間に存在しているとみなせ(その解釈をさまたげる情報がないかぎり)」というようないわば同時解釈の原則(simultaneity interpretation principle)」がはたらくのでしょう。

 

 b) V2, V3が「有界(bounded)述語」(後述)なら「物語の時間」は t1→t2→t3 と前に動いていくのがふつう「デフォ」と言えます。(こむずかしい名前をつけるならchronological iconicity principle「時系列的アイコン性の原則」でしょうか。iconicityとは事象とそれを描写する言語表現のかたちや構造が類似していることです。ここでは事象がおきた順序とそれに対応する動詞がならんでいる順序がおなじということです。

 

例)わたしは駅に着いた(V1)。腹が痛くなった(V2)。トイレにかけこんだ(V3)

 

 

有界」とは,おおざっぱに言うと、事態の継続時間(はじめとおわり)がはっきり限定されていること(瞬間的な事態もふくみます)、「有界」とは事態の継続時間がはっきりしないことを意味します。

knowや所有のhaveなどの「状態動詞」や進行形はデフォでは非有界の述語です(フランス語やイタリア語の「半過去形」も非有界的と言えるでしょう)。動作動詞に関しては、「1回限りの瞬間的動作」をあらわす動詞は有界的です。いっぽうstudyとかwalkとかの継続動作動詞は原形では非有界的な感じですが、過去形だと有界的にとらえられるほうがふつうでしょう。おなじみかけでもI had lunchなどはI ate lunchとおなじですから有界的です。動詞の内在的アスペクト (Aktionsart) だけではどちらかきめられないことが多いです。時制や文法的アスペクト(完了/進行)、目的語や主語、副詞句なども考えないといけません。たとえばwriteは非有界的でも、write a letter というと有界的になるという話は「見える英文法」にも書きました。またhave a headacheは単独ではどちらかというと非有界的[状態的]でしょうが、つぎの文のように:

 

I arrived at the station. I suddenly had a headache.

「わたしは駅に着いた。突然頭が痛くなった」

 

と言うとhad a headacheは始点については有界的になり,時間(場面)はちょっとすすんだ感じがしますね。

 

 こういうめんどくさいことを考えるのがおもしろいと感じる変わった人は言語学のほうにすすんでもいいかもしれません。でも卒業してから仕事があるかどうかは知りませんよ(笑)。